「何か良い事ないかしらね〜」

 槙村 香は行きつけの店、Cat's Eyeのカウンターに座りながらそう言った。

「何よ、突然。どうかしたの?」

 そこの女主人である美樹がくすり、と笑って対応した。

「最近仕事の依頼が来なくてさ〜。どうしたものかと。もうそろそろいい加減に仕事が来ないとツケがどんどん溜まっていく一方で…」

 香は深いため息をつくと、カウンターにうつ伏せになった。

「……その原因は冴羽さんにあるのよね。ご愁傷様」

 金欠の原因を知っている美樹は、心からそう言った。

 普通に生活していく上での金はある。何せ、1回の仕事の依頼金額が大きいのだ。なので一般の人と一緒の生活をしていれば、1回分の仕事料で1年ぐらいは暮らせるはず。なのに、香の家計簿は一向に黒字にはならない。ずっと赤字ばっかりだ。この家計簿を見て、香は毎日悩まされる。

 この香を悩ませる原因は、パートナーである冴羽 撩である。

 撩は金もないのに毎日の様に飲み歩いているのだ。飲み屋の人の好意でいつもツケで飲ませてもらっている。そろそろ、そのツケも限界まで溜まっており、飲み屋街の人をイライラさせている。

「はぁ〜、何でもいいから仕事入ってこないかしら」

 香は頬をくっつけて、カウンターと更に仲が良くなる。

「そのうち入ってくるわよ。大丈夫!」

「そうかな〜」

 美樹の励ましに少し浮上する。

「あの…」

 すると、突然男の人が二人に話し掛けてきた。

「はい、何でしょうか?」

 美樹が営業用の笑顔を見せる。

 この男は香が来る少し前からいたお客さんだ。

「何か追加注文ですか?」

「いいえ、そうではないんです。突然話し掛けて申し訳ないかと思うのですが、少し私の話を聞いてくださいますでしょうか?」

 男は少し微笑しながら、そう言う。その男の表情は二人を見惚れさせるほどの綺麗な笑顔をしていた。

 男の名前は神崎 玲一と言った。

 神埼の話はこうだ。

 神崎は中小企業の会社を経営しており、取引先の令嬢が神崎を見初めてお見合いを申し込んできたらしい。神崎は常連の取引先なので、無碍には断れずにお見合いをしてから、丁寧に断ったのだ。しかし、相手は諦めきれないのか、毎日のように電話をしたり、会社の前で待ち伏せなどしているらしいのだ。一種のプチストーカーである。

 幾度となく断りをいれたが、神崎に恋人がいないことを確かめるとその令嬢は余計にしつこく付きまとってきたのである。

 その令嬢に神崎は困っており、どうしたらいいかと思案中だったらしい。

 そして偶然にこの店に入り、香が金銭で困っているのを見つけた。すると神崎は、良い案を思いついたのだ。

 その案とは香に恋人役をやってもらい、自分には恋人がいるからお付き合いはできない、としかりと先方に告げるものだった。

 神埼は背が高く、香と並んでも頭一つ出ている。綺麗な顔立ちをしており、話の最中に笑うと上品な笑顔を乗せてきた。

「いかかでしょう?突然この様なことを言われても驚かれることでしょうが…」

「で、でも何故私なんですか?」

 香は少し戸惑いながら言う。

「マスターとの会話を聞いてしまいまして。何やら聞いていると探偵の様なことをしていらっしゃるとか。不躾で悪いかと思ったのですが、貴方の様な綺麗な方でしたら相手も納得するかと思いまして」

 優しそうな笑みを浮かべ、首を少し傾げた。

 まあ、と美樹は口を塞いだ。

 普通の男が言ったらこの科白はとても陳腐なモノに聞こえるが、神崎が言うとドキドキさせられた。少し胸が高鳴る。

 香は「綺麗な方」と言われて、顔を赤らめた。

「でも…」

 香は神崎の恋人役をやるのも悪くはないと思いながらも、戸惑いを見せる。恋人役というのが気にかかるのだ。まるで浮気をするみたいで。無論、香も仕事だとわかりきってはいるのだが。

「勿論謝礼はお支払いいたします。二百万でいかかでしょうか?前金として百万払いますが」

「に、二百万ですか?!恋人役で!」

「ええ。急に恋人役をしろと言っても無理があると思いますので、数日一緒に行動していただき、それなりの役を演じてもらおうかと考えていますので。何日か拘束するのですから、それなりの額はお支払いしないと。足りないのならば上乗せしますが?」

 常時金欠気味の香にはとても高価な金額に聞こえた。裏の世界、しかもその世界でbPのスイーパーともなれば、依頼料は半端のない金額のはずだが。

「いいんじゃない?香さん。ツケを払うならそのぐらい必要じゃないかしら」

「美樹さん…。――そうね、今までのツケを払えると思えば」

 香は立ち上がると、「わかりました。その依頼、お引受いたします」と言って、神崎に握手を求めた。

 神崎は微笑すると、「よろしく」と握手をした。

 香が神崎の依頼を受けてから数日が経過した。

 撩に一言言ってから仕事に入ろうかと思ったが、こういうときに限ってリョウはすれ違いが多く、中々顔を合わすことが出来なかった。

 今日も神崎と恋人役を演ずる為に神崎に会いに会社まで来た。社長の恋人という役柄なので、着ている服やバック、宝石など、それなりのモノを身につけていた。勿論、これは演出のために使っているので、神崎から出ている。

 始めはぎこちなかった恋人の役だったが、慣れてきたのか、端から見れば仲の良いカップルになっていた。

 香は会社の前に立ち、一呼吸すると中に入ろうとしたら、声を掛けられた。

「ちょっと、そこの人」

 香は周りを見回してみて、他に人がいないことを確認すると、声の主を振り返った。

「…私のことかしら?」

「他に誰がいるのよ!」

 キッ!と若い女性が睨んだ。やっと幼さから抜け出した女性といった感じの可愛い子だ。

「私に何か用かしら?」

 睨まれているのにも関わらず、香はにっこりと微笑んだ。

「話がなければ声なんて掛けないわ」

 もっともな言い分を言うと、その女は香に近づいてきた。

「貴方、神崎さんの恋人らしいわね?それ、本当なのかしら?」

 ―成る程。この人が神埼さんの言っていた令嬢…。

 香は納得すると、自信たっぷりの笑みで「そうよ」と答えた。

 あまりにも堂々としている香の態度に一瞬女は怯むものの、気持ちを入れかえ、香を睨み出す。

「そんなの嘘だわ!だって、私調べたもの!あの人に恋人はいないって!」

「…調べ方が悪かったんじゃないかしら?」

 少し性悪女みないな演技を入れて、ふっ、と笑う。

「私がか…、彼の恋人じゃなかったら一体私は何なのかしら?」

 『神埼』と言いそうになって、香は少し慌てた。恋人同士なのに苗字で呼び合うのはおかしいということで、名前で呼び合うことにしたのだ。ここで玲一と素直に言えれば香の演技は満点だった。

「…絶対に神崎さんと貴方を別れさせてやるわ!!」

 女はそう吐き捨てると、待たせてある黒光りの車に乗り込んだ。

「……上手くいったかしら?」

 姿が見えなくなると、先ほどとは打って変わって、心配な表情が現れた。

「何か、演技するのって大変…」

 はぁ〜、とため息をついて会社の中に入っていった。

 

 

 

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