学校が騒がしい。
女子が色々と雑誌を持ちながら、廊下や教室などで話していた。
「七地せんせーvv」
語尾にハートマークが付いてそうな呼び方をし、女生徒は七地を呼び止めた。
「何?」
七地は人の良い笑顔で生徒に向かう。
「あのね、七地せんせーチョコ好き?」
上目遣いで聞いて来る。
「嫌いじゃないけど……それがどうかしたの?」
「うんもう、とぼけちゃってぇ!」
ばしっ、と腕を叩かれた。
七地にしては惚けているつもりはないのだが。ふと、生徒が持っている雑誌に「バレンタイン・チョコレート特集」という文字が見えて、ああ、なるほどと納得する。明日は、待ちに待ったバレンタインデーだと気がつく。
「もう、そうやってとぼけているのも可愛いけど、やはり女としてはさり気なく気がついて、どんなチョコが好きかどうか教えてくれるものよ。せんせー」
「……ああ、ごめん。俺、鈍感らしくて」
苦笑しながら謝る。
「で、チョコ好き?どんなチョコが好き?」
「そうだな〜。………ああ、丸いチョコのが好きだよ。ほら、周りに粉が付いているヤツ」
自分が知っている限りのチョコを思い出し、それを適当に言った。
「ああ、トリュフね!おっけー!ありがとうvv」
そう言って生徒は立ち去ろうとしたが、すぐに踵を止めて七地を見る。
「あっ、当日期待しててね!一番美味しいのを持ってくるから!」
手を大きく振りながらその生徒は立ち去っていった。
今時の生徒のパワーは凄い、と当てられながら七地は職員室に戻っていった。
戻る間に他に、3人の生徒から同じ質問を受けた。皆、同じ答えを返してやる。
職員室に着いて席に座ることには疲れがどっと出て、今にもへたり込みそうだった。
「見ましたよ、七地先生。相変わらず生徒にもてますな〜」
体育教師の先生が、七地に話しかける。
顔が少し羨ましそうだ。
「いえ、全然モテませんよ。先生こそモテるんじゃないですか?」
「私ですか?私はとてもとても……。生徒から20個は貰えればいいほうですから」
20という数字を強調してその先生は言った。
「はぁ……」
七地はどうでもいいという返事をすると、この場を早く離れたくて、急いで片づけをすると、そのまま帰宅してしまった。
自分の家に帰る前に、一度晃己の顔を見ようと、七地は布椎家に立ち寄った。
「こんにちはー」
かって知ったるなんとかで、七地は家に上がり込もうとすると、奥から晃己が出てきた。
「よく来たな」
そうふんぞり返って言う晃己の顔は嬉しそうである。とても5歳には見えない子供の態度だ。
まあ、中身が17歳だから仕方ないけど、と七地は納得する。
「ほら、ぼけっとしていないで上がれよ」
くいっ、と顎で指示をした。
こういう態度を取られてもむかつかないっていうのは、きっと闇己くんだからなんだろうな。
七地は「おじゃまします」と笑顔で言うと中に上がりこむ。
リビングに行くと夕香が夕飯の仕度をしていた。
「いらっしゃい、たけちゃん」
「お邪魔するよ」
「今日ご飯食べていくでしょ?」
「ああ、いつも悪いね」
「その代わり、晃己くんの相手をしてあげて。私今手が離せないから」
「はいはい。――じゃあ、晃己くん、部屋に行こうか」
晃己の視線に合わせて座り込み、笑顔を浮かべる。
「相手してもらうほど、俺は暇じゃない」
夕香の言い方にむかついたのか、ぷくっ、と頬を膨らませてそっぽを向いた。
「ごめんごめん、俺が相手をしてほしいんだよ。ね?俺と遊んでくれるだろう?」
申し訳なさそうな表情を作る。
「……仕方ないな」
晃己はそう言うと素直に七地の言う通りにした。
夕香を横目で見ると、両手を合わせて謝っている。
いいよ、と片手で手を振ると、七地は晃己を部屋まで連れて行った。
「さて、夕飯が出来るまで何して遊ぼうか?」
七地は椅子に腰掛けて、晃己に問う。
「ったく、お前は俺を馬鹿にしているのか?子供の遊びなんか出来るか」
「そっか。じゃあ、どうしよう?」
七地は頬に指を当てて、考える真似をする。
「……なあ、七地。お前、明日どうするんだ?」
唐突に晃己が聞く。
表情を見ると、どこか寂しそうだ。
「どうするって……何が?」
「何がって……、明日はアレだろう?その…」
珍しく言いよどむ晃己を見て、七地は首を傾げると、すぐに思い立った。先ほど、女生徒と会話したことを思い出したのだ。
「もしかして、バレンタイン?」
「それだ。お前は、他に誰かと用事があるのか?」
真っ直ぐに七地を見る晃己。その目には不安の色が浮かんでいる。
「……晃己くん。……勿論、一緒にいる人は決まっているよ」
晃己の言いたいことをわかっているので、七地は笑みを浮かべてそう答えた。
逆に晃己はショック!と言わんばかりに焦った顔をする。
「そ、それは誰だ!俺の他に男を作りやがって!」
仁王立ちになり、七地の前に立つ。
子供だからかあまり迫力はなく、可愛く見えてしまう。自分を思うことからこういう態度を取らせているのかと思うと、嬉しくてつい笑ってしまう。
「何がおかしい!」
今度は怒りの表情を浮かべて、七地を睨んだ。
「ごめんごめん。何で俺が晃己くん以外の人と、一緒にいないとならないんだよ。しかも、男とだなんて。俺は男は晃己くん以外はお断りだね」
心外だ、と七地は言う。
「……じゃあ、お前が一緒にいる相手って俺?」
晃己は自分を指差した。
「勿論じゃないか。俺が一緒にいたいと思うのは晃己くんだけだよ。晃己くんがそう思わなくてもね」
「ば〜か、俺は闇己のときからお前だけだ。だから、こうして晃己の姿になってもお前を、お前だけを愛している」
晃己は七地の膝の上に乗ると、ぎゅぅ、と首に手を回して抱きしめた。
「……そう言われると照れるな」
本当に照れているのか七地の顔が赤い。
「俺はもう後悔はしたくはない。お前を残して死んでいった俺を、一緒に生きられなかった俺を恨む」
「……でもこうして今は一緒に生きていられるじゃない」
「年が離れすぎている」
「確かに。……でも、年が離れているからって晃己くんは俺のこと嫌い?こんなおじさんは嫌だ?」
「まさか!そんなことあるはずがないだろう!逆に俺が心配なんだ!お前がこんな子供、嫌なんじゃないかって……」
「馬鹿だな〜、晃己くんは。それを言うなら俺のほうなんだからね。君にはまだまだ未来がある。色々な未来が。なのに、こんなおじさんのためにその未来を狭めていいのだろうかと、思うことが幾たびもあるよ」
「お前こそ馬鹿だ。俺はお前と一緒に生きられないのならば、他の人生を掴み取っても意味がないこと。七地が側にいて初めて俺の人生があるんだ。それだけは覚えておけ」
偉そうに言う晃己に七地は苦笑する。
「うん、そうだね。ちゃんと覚えておくよ」
自分だけだと、言ってくれた晃己を抱きしめる。
「俺を愛してくれて、ありがとう。闇己くんと晃己くん」
「ば〜か」
そう言う晃己は笑みを浮かべながら、七地に触れるだけのキスをした。
食事をご馳走になった帰りに、七地はコンビニに立ち寄った。
ある雑誌を買うためだ。
それは男が買うには少し恥ずかしい雑誌だ。しかも、明日はバレンタインデーときている。
本屋で買うよりは、他のものと一緒に買ったほうがイメージは良いかと思い、適当なものと一緒に買った。
一瞬、店員の目が大きく見開いたが、そこはプロ。何事もなくレジ袋に入れてくれた。
七地はそそくさとその店を後にして、帰宅した。
雑誌を開けて、10分。
「コレにしよう。これなら俺でも作れそうだ」
見開いたページには、七地が知っているトリュフチョコの作り方だった。
チョコを湯銭で溶かし、丸く固め、そこにアーモンドや胡桃、ココアの粉末を掛けてもいい。
好きな物を中に入れて、固めさせてもいい。
「買うよりも手作りのほうが、気持ちは伝わるもんね」
チョコを渡すつもりはなかったが、不安そうな晃己の瞳を見て、形の物を送ろうと七地は思ったのだ。
きっと自分よりも、子供の晃己のほうが心に抱えている不安は多いだろう。
この手作りチョコで少しでも晃己の心が軽くなればいいと思った、結果だった。
時計を見ると、夜の10時。
まだ大きいスーパーなどは開いている時間だ。
今から作れば、手馴れない七地でも朝までには作り終えることが出来るだろう。学校帰りに渡すのには、今しかない。
チョコ作りに必要な器具と板チョコ、そしてラッピング等を買いに七地は急いでスーパーに赴いた。
喜んでいる晃己の顔を浮かべながら。
晃己くんが、一緒にいたいと願う限り、俺はずっと一緒にいるからね。
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