ここは眞魔国。
第27代魔王、渋谷有利を主とする国である。
「ユーリ!」
前王の三男、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムがユーリを呼び止めた。
綺麗な金髪を靡かせながら、ズカズカとユーリに近寄る。
「何だよ、ヴォルフ」
ユーリは首に巻かれているタオルを持ちながら振り返った。
「何じゃないだろう!今からお前は何処に行くつもりなんだ!」
ヴォルフラムは初めから怒気を含んだ声でユーリを睨みなら言う。
「何処って…。今からジョギングしに行くつもりだけど?」
ユーリは首を傾げた。
ユーリの姿を見れば何処に行くか、一目瞭然。着ている物は眞魔国で作られた(地球の物を参照)黒いジャージに首元にはタオルが巻かれてある。
一日に一度は体を鈍らせないためにジョギングを行っているのだ。
それはヴォルフラムにもわかっているはず。しかし、ヴォルフラムは今日に限って聞いてきた。なのでユーリは首を傾げるしかなかった。
この俺の姿を見て、コイツは何を言っているんだ…?この姿でパーティーに行くわけではあるまいし。
そんなことをしたら変人だと疑われてしまう。
「ヴォルフ…。どうしたんだ?いつもジョギングには行っているじゃないか」
「そんなことは知っている!」
初っ端から不機嫌なヴォルフラムにユーリはますます首を傾げる。
「じゃあなんだよ」
「今日もアイツと一緒なのか?」
「アイツ…?ああ、コンラッドね」
ユーリは一瞬眉を潜めたが直ぐにヴォルフラムが言っている人物を思い浮かべた。
ヴォルフラムの腹違いの兄であるウェラー卿コンラートである。
コンラートでは呼びにくいのでユーリはコンラッドと呼んでいる。
「勿論コンラッドと一緒だぜ。それがどうかしたのかよ」
今更何を言う、という感じにユーリは言った。血盟城の外に出るにはそれなりの護衛が必要だと、目の前にいるヴォルフラムを初め、ギュンターやグウェンダル達が言ってきた。ユーリにしてはただ運動しに行くだけなのに何故護衛などを付けなければならないのか、と反発したがそれは簡単に言いくるめられた。
理由。魔王サマだから。
そう言われたらどうしようもない。王を守るのは臣下の勤め。それはお馬鹿なユーリにもわかること。
ユーリは渋々護衛を付ける事を承諾したが、ある条件をつけた。
「護衛をつけるのは一人だけ!しかもコンラッドがいい!」
これに真っ先に文句をつけたのは婚約者であるヴォルフラムとギュンターだ。
ギュンターなど涙を流しながらユーリに迫ってくる始末。
ただユーリーは地球のことに詳しい(特に野球に関して)コンラートと一緒にいたいだけなのである。こっちの国でも野球をやるならいろいろなことを話し合っておいたほうがよいと考えた結果なのだ。しかもコンラートは腕っ節もかなり強い。並みの兵では敵わないであろう。それも考慮した発案だった。それに毎日走るのに気兼ねしながら走りたくはない。ヴォルフラムは我侭を言うだろうし、ギュンターは嬉し涙で毎日顔が濡れているだろう。そんなのはご免こうむりたい。
そして時間をかけてユーリは何とか皆を説得して、コンラートを手に入れたのだ。勿論コンラートはユーリの願いを断るはずがない。快く承諾した。
そんな日から丸1週間経ったときだった。ヴォルフラムが言って来たのは。
「今日から僕も一緒に走る。有り難く思え」
見下された言い方にユーリは少し、かちんとくる。
「有り難く思わないから、一緒に走らなくていいよ」
偉そうに言われながら、一緒に走る気にはならない。走ったとしても、我侭ばっかりで精神的に疲れるだけで、ジョギングをしていても楽しくない。流石わがままプーだ。
「むっ!やっぱり!」
ヴォルフラムはキッ、と睨む。
「だから尻軽なんだ!お前は!」
ヴォルフラムの瞳に剣呑な光りが見えた。
「尻軽って言うな!そもそもなんでコンラッドとジョギングに行くことが尻軽なんだよ!」
もしそうならば、俺はかなりの尻軽ということになる。
というか、何でヴォルフはこんなに俺に執着するんだよ?!
「しらばっくれるな!俺は知っているんだぞ!お前とアイツがジョギングという名の逢引をしていると!」
ふんぞり返りながら、自信満々に言う。
「………………えっ?」
あまり聞いたことのない言葉にユーリは目をぱちくりとさせる。
コイツは今、なんつった?粗引き?粗引きウインナーは好きだぞ。つぶつぶ入りのマスタードをたっぷりつけて食べるのが好きだ。でも、今この会話にウインナーは好きか?なんていうのなかったしな〜。
「ヴォルフ、お前ウインナー好きなのか?」
「はぁ?何を言っているんだ。お前が良いのは顔だけか?」
つまりお前はバカか?とそれとなく言っている。
金髪美少年に言われたくね〜よ!この我侭プー!!
と、ユーリは思うが、遠まわしにバカと言われて、更にムッときた。
「だってお前意味わかんねーこと言うんだもんよ」
我侭プーにむかってため息をつく。
「…そうやってしらばっくれるんだな。本当にお前は尻軽だ。僕という婚約者がいるくせに、アイツとなど…」
そう言うヴォルフラムの拳はフルフルと震えていた。
「おい、何か勘違いしてねいか?お前が思っているようなことはコンラッドとは何もないぞ」
できるだけ静かな口調で言う。このままギャーギャー言い合っていても、何もならないと、今までのヴォルフラムとの言い争いでユーリが学んだことだった。
「………本当か?お前には何度も裏切られているからな」
じとっ、と冷たい視線でユーリを見る。
いつ俺がお前を裏切ったよ!!!
と、心の中で叫びながらユーリは平常心を保とうとする。
我慢、我慢…。ここで爆発したらバカを見るだけだ。
「本当だよ。コンラッドとは何でもないよ」
軽く微笑んでやる。
敵意はない、お前の味方だぞ、とでもいうような顔。
「…わかった、今度も信じてやろう」
渋々ヴォルフラムは納得した。
その言葉にユーリはほっ、と胸を撫で下ろすが、先ほどから疑問だったことをヴォルフラムに告げた。
「何で急に俺とコンラッドのことを疑ったんだ?」
そうなのだ。こっちに来てからというもの、血盟城に一日いる日はジョギングをしたり、野球の練習をしたりして、いつもコンラッドと一緒だったのだ。
それを何故、今更ヴォルフラムは騒ぎ立てたのか、ユーリにとっては謎だった。
「お前とアイツがジョギングと言う名の元で抱き合っていたという情報が耳に入ったんだ」
「はぁ〜?何だよ、それ!俺たちは抱き合ってなんかないぞ?!」
今まで恋人もいたことがないのに、抱き合うだなんてそんな大胆なことできるはずないだろうが!!というか、何でコンラッドと抱き合わなくちゃならないんだ?!
頭がヒートしそうな勢いでぐるぐると思考が回転する。
「わかってる。それも誤解だと言いたいんだろ?僕はお前のことを信じると言ったんだ。今回のことはもういい」
信じている、と真剣な瞳で訴えられ、ユーリは「そうですか…」と言うしかなかった。
あまりにも真剣だったため、なんだか照れる。
それに信用されていると直に言われると嬉しいものだと、ユーリは思った。
「…ありがとう、ヴォルフ。――誤解も解けたようだし、俺はジョギングにでも行って来るよ」
そう言って軽く手を上げると、その手を掴まれた。
「待て、ユーリ」
華奢なくせに力強い手がユーリの手首を締め付ける。
少し痛いが我慢できない痛みではない。
男に手首を掴まれて痛いだなんて、言ったら恥ずかしいと思った。弱いと思われてしまうかも。しかも自分とあまり体格もかわらないヴォルフラムにだ。
ユーリのプライドが許さなかった。そんなに高くはないプライドだが。
「何だよ、もう話は済んだんだろ?だったら―」
「僕も一緒に行く」
「…行くって何処に?」
「お前が行くジョギングに」
「…マジ?」
「…マジとは本気のことか?それならばお前の言葉を借りるとマジだ」
本気と書いて「マジ」と読む。
一体誰がこんなことを言い出したのかユーリには謎だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
ユーリは少し凄まれて頬を引きつらせた。
「…わかったよ。お前のことだから嫌だと言っても付いて来るんだろう?」
「お前、婚約者である僕が一緒にいることが嫌なのか?やっぱりアイツと…」
ヴォルフラムの怒りが再浮上したのか、掴まれている手に力が入る。
思わず顔を歪めてしまい、ヴォルフラムの手を振り払った。
「痛てーよ!このバカ!そんなに力強く握るな!―あっ、痣が出来ちゃったじゃないか!」
もうプライドも何もない。
痛いものは痛いと素直に言おう。
この我侭プーには通用しない。
ユーリはふーふー、と手首に息を吹きかけた。
意味のないことだが、少しは良くなりそうだった。(気分的に)
「…なんだ、痛いなら痛いと最初から言えばいいだろうが」
「もういいよ。―ほら、行くぞ」
ユーリはヴォルフラムの服を掴み、歩き出した。
ここで反論したらまた言い争いになると思ったユーリは、終結の言葉を吐いた。
「とっ…。急に引っ張るな」
つい、ヴォルフラムは転びそうになりながらも何とか堪え、ユーリに文句を言う。見るとその顔は少し嬉しそうだ。視線の先にはユーリが掴んでいる手がある。
そのことに気づかぬまま、ユーリはヴォルフラムを引っ張ったままコンラートと待ち合わせ場所であるところまで歩いていった。
―城内 中庭。
「お待たせ!コンラッド!」
ユーリは片手を上げて走り寄った。ヴォルフラムを引き連れているので、走りよるというか小走り状態だが。
…おや?
とコンラートは思う。
ユーリ曰く、ヴォルフラムこと我侭ぷーを引き連れてくるのが珍しく思えた。大勢で楽しく行動することはユーリが好むことだが、ヴォルフラムは集団で行動することが嫌いな性質だ。ましてや愛しの婚約者殿をかどわかす(これはヴォルフラム談)、俺が側にいるのに、素直に、嬉しそうにユーリに連れられてくるなんて。
ヴォルフラムはコンラートの姿を確認すると、はにかむ笑顔からきつい眼差しの表情に変わった。
…わかりやすい奴。
そう思いながらもコンラートは笑顔を絶やさない。これが城内で腹黒いと噂される所以か(ごく一部にだが。特にギュンター。)。
「こんにちは、陛下。それにヴォルフラムも」
「陛下と呼ぶな、名付け親」
「もとはなんだ、もとは」
むすっ、としながらユーリとヴォルフラムは答えた。
「…これはすみません。お二人とも」
同じ反応にコンラートは苦笑する。
「それにしても珍しいですね。ヴォルフラムが一緒に来るとは。どういう風の吹き回しだ?」
「…ちょっとな。それとも僕が一緒にいてはまずいのか?」
一瞥してコンラートを睨む。
何かあったのか?と思わずにはおけない。今まで以上に視線が痛い。
「まさか。大歓迎ですよ。ね、ユーリ」
即答し、ヴォルフラムの意気込みを逸らしてやる。
「あ、ああ!勿論だよ!―ほら、睨み合ってないでジョギングでもしようぜ!良い汗いっぱいかいて青春を謳歌しようよ」
バンバンッ、とコンラートとヴォルフラムの背中を叩く。ヴォルフラムの場合は身長の差で肩だったが。
それにしても、ユーリは気が付いていますかね?俺たちが見た目の倍以上の年があるってことに。
「さあ、行こう!」
ユーリはそう言うと二人を置いて自分のペースで軽やかに走っていった。
「むっ、おい、ユーリ待て!婚約者を置いていくとは何事だ!」
ヴォルフラムは不機嫌そうな顔をしながらも、ユーリの後を追いかける。
せめてマントぐらい外して走ればいいのに、と思いながらもコンラートは何も助言せずに二人の後を着いて行った。
血盟城を出て暫く走り森を抜けると小高い丘に出た。ここからの眺めはとても気分が良いものだった。
見晴らしがよく、集落が見下して見えた。吹く風も頬撫でるような微弱な風なので、心地よかった。
空を見上げると空がとても近くに感じた。
手を伸ばせば青い空に触れられるような錯覚に陥らせる。
勿論、そんなことは出来はしないと、コンラートは理解している。が、そう思わずにはいられない気分の良い日だった。
そう思ったのは陛下、もとい、ユーリも一緒だったらしい。
「うわぁ〜、今日は一段と見晴らしがいいな〜。風も気持ちいし、空は青いし言うことなしだね!」
額に薄っすらと汗を浮かべながら言う。
そう言うユーリの目はキラキラと輝いていた。まるで子供みたいな表情。くるくると回転するかのように数秒事には変化する、表情豊かな顔にコンラートは微笑する。
「ほら、見てみろよ!空なんか凄く近く感じるぞ!手を伸ばせば空に届くみたいだ!」
両手を挙げてユーリは空を掴もうとする。そんなことは出来ないと承知しながら。それでももう少し、といった具合に腕を出来る限り伸ばす。
そんなユーリを見ているととても愛しく思える。
あまりにも可愛くて今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られるが、ここには婚約者(成り行きの)ヴォルフラムがいるので我慢しよう。
「バカか、お前は!だからへなちょこなんだ!空に手が届くわけがないだろう?」
そんな可愛らしいユーリに冷たく言い放つヴォルフラム。
しかしヴォルフラムを見ると、どうやら照れ隠して冷たく言ったみたいだ。微笑を浮かべながら、顔を少し赤らめている。
どうやら、ヴォルフラムもユーリのこの態度を可愛いと思ったらしい。
とても素直じゃないヴォルフラムは子供みたいに正反対の行動を取った。
だからいつまで経ってもユーリとの距離が縮まらないんだろうな。
コンラートは冷静に分析した。
それは恋という名の距離である。
子供の恋愛を見ているようで、コンラートは苦笑した。
「へなちょこは関係ないだろう?!そもそも俺だってあんなに高い空に手が届くなんて思ってもないさ!でもこういうのって気持ちの問題だろう?気持ちの!」
バカとへなちょこにユーリはむかっ、とする。
ヴォルフラムと一緒にいるときのユーリは怒っているかむすっ、としている表情ばかりだが、それはそれで普段自分に対しては見れない表情なので、コンラートは面白がってやり取りを見ている。
「わかっているならいいんだ。もし本気だったから1から教育しなおさなければならないなと思ったんだ」
「教育?!何だよ、ソレ!俺は子供じゃねーぞ!っというかお前に教育されたくねー!」
ユーリは「嫌だー!」と叫びながらコンラートの方に近寄った。するとコンラートの袖を掴み、ヴォルフラムを見た。
「教えてもらうならコンラッドの方がいい!」
そもそもわかっているなら教える必要がないとは思うので、誰が教育するかなんて問題ではないと思うのだが、この二人は微妙に違う路に話が逸れてしまう。
コンラートはどんな理由であれヴォルフラムより自分を選んでくれたことが嬉しく、つい、ヴォルフラムの怒りを煽る言葉を言ってしまう。
「それは嬉しいですね。ユーリがお望みなら何でもお教えいたしますよ?手取り足取りと」
にこっ、と微笑み何気なく腰に手を回した。
「うんうん!やっぱり教育者はこうでなくちゃ!」
ユーリは満足そうに頷いた。
第三者から見ればコンラートの態度はいかにも下心ありそうな感じだが、ユーリはそんなことに気がついちゃいない。優しそうに微笑まれ、何でも教えるというのがいいのだ。
美形で頭がよくて、その上優しいとくると、ユーリにとってこれ以上の教師はいなかった。どんなに物覚えが悪くてもコンラートならば笑って、根気強く教えてくれそうな気がしたからだ。
ヴォルフラムはユーリの腰にコンラートの腕があることと、ユーリの言葉にぶち切れた。
「やっぱりお前は尻軽だな!この浮気者でへなちょこが!!」
米神に血管を浮かび上がるほど、ヴォルフラムは怒りを抱えている。
美人な人が怒るととても怖い。それは容姿端麗、黙っていれば天使のごとく美しいヴォルフラムも例外ではなかった。
あまりのヴォルフラムの怒りのオーラにユーリはちょっとしり込みする。
ちなみにコンラートは薄っすらと笑みを浮かべていた。
「誰が尻軽で浮気ものだ!フットワークの軽さには自信が有るが、浮気なんか一度もしたことがねー!というか恋人もいないのに浮気が出来るか!しかもへなちょこは関係ないだろうが!」
うがっー!とユーリが叫ぶ。
それはごもっとも。
ユーリのことが心配で何度か地球に降り立ったが、今まで恋人という間柄の女性を見たことがない。勿論、男もだ。
もし相手が自分以外の男だったら、あっというまに切捨てる。
そうたっぷりと自身満々にコンラートは言い放つ。
婚約者であるヴォルフラムは自分以外の女、男であっても、兄であってもユーリとべたべたしていれば尻軽、浮気者となってしまうのだ。
少し不憫だとは思うが、それはそれで二人のやり取りが面白いので見物客に徹するのだが、今回は自分がその浮気相手となっているみたいなので、穏やかにいるわけにはいかない。
「ヴォルフラム。そんなに怒っていると血管が切れるぞ?そんなにユーリの前で血管を切らした自分を見せたいのか?血まみれになって、ユーリに嫌われるぞ?」
血管が浮き出るほどに、血液が活発ならば、どばぁー!と激しく血が吹き出るだろう。それだけは避けたい。ユーリが気持ち悪がるから。
「むっ!だったら、まずコンラート!ユーリの腰から手を退けろ!」
キッ、とヴォルフラムはコンラートを睨んだ。
これ以上刺激しても良いことはないので、コンラートは大人しく言われたままユーリの腰から手を退けた。
「おい、ヴォルフラム!コンラッドはお前の兄だろう?何でそんな言い方するんだ!」
兄弟皆仲良く!とユーリは言う。
自分よりも何倍以上も年上のヴォルフラムに説教するユーリが何故か愛しく見える。
つい、笑みが漏れてしまう。
「何笑っているんだ!コンラート!笑い事か?!」
それに気がついたヴォルフラムがコンラートに近寄った。
「いや、何だかおかしくてさ」
凄い剣幕で近寄ってきたのにも関わらず、コンラートは涼しい顔をしてヴォルフラムを見据えた。
隣りにいたはずのユーリが気迫に驚いてコンラートの後ろに隠れたのにも関わらず。
それはヴォルフラムにとって面白くない。更にむかっ、とくる。
「何がおかしい?」
「なんとなく」
笑みを浮かべながらそっけなく答えた。
「なんとなく…?失敬だな」
「笑ったことは謝るよ、ヴォルフラム。――それにしても、お前はそんなにユーリのことを尻軽だと浮気者だというが一体ユーリのどこが尻軽で浮気者なんだ?俺に教えてくれないか?」
少し声のトーンを落として、眼を細めた。
それだけなのに、薄っすらと辺りに冷気が漂った。腕組みをして、ヴォルフラムを見下す。
「くっ…」
思いも寄らぬコンラートの反撃にヴォルフラムは言葉を詰まらせた。いわば迫力負けしたのだ、怒りが徐々に低下していく。
流石、ツェリ様の子供であり、グウェンダルの弟、ヴォルフの兄だ。
と、ユーリは系図を述べた。つまり、子供みたいな弟は出来の良い兄貴には敵わないと、言いたいらしい。
どんなに年を重ねても、一度築いてしまった兄弟の位置関係は変わることは滅多にない。
ヴォルフラムは自分は完璧で大人だと思っているが、所詮はコンラートの敵ではなかった。ヴォルフラム以上に長生きしている長老みたいなコンラートに口で勝てるはずがない。
ましてや、コンラートは戦場で戦い、生き抜いてきた戦士なのだ。その戦士に気迫で勝てるはずが無かった。
きっと、コンラートは一睨みもすれば、誰もが黙る気迫を持っているだろう。ただ、いつもは優しい笑みに隠れているだけなのだ。
大切な者が怖がらないようにと。
「ユーリが言ったのは教育者としては俺が向いているといっただけだ。第一、お前がユーリに教えてやることは喧嘩の仕方だけだろうが。俺の方がヴォルフラムよりも長く生きた分、知識がある。もしかすると、俺よりもグウェンダルの方が適しているのかもしれない。それにユーリに触れたのは俺だ。ユーリには非がないだろう」
にっこりと笑うと、他に文句は?と目で語る。
ヴォルフラムは図星を指されて、かぁ〜、と頭に血が上った。
ただでさえ怒りで頭に血が上っているのに、それ以上血が上ると本当に血管が切れかねない。
ここは、飴を与えるのが一番だな。
コンラートは愛しのユーリと二人っきりにさせてやろうと思い軽くため息をつくと、ユーリに視線を向けた。すると、ユーリの手首が視界に入った。どうやらジョギングをしていて暑くなったのか腕まくりをしていたのだ。
細い手首に見えた薄っすらとある赤黒い痣。
……?
どうみてもジャージのゴムでついた痕ではない。
「ユーリ、その痣はどうしたのですか?」
ひょい、とユーリの手首を持ち上げて痣を確認する。何かに強く縛られて鬱血した痕。
「ああ、これ?何でもない。もう痛くないから大丈夫だよ」
コンラートから逃げるように腕を取り、もう片方の手で痣を隠した。
もう痛くない?と言うことはついさっきできた痕か?昨日の夜には確かに痣なんて無かったはず。
風呂上りのユーリの世話をしたときには痣は一つもなかった。
ふと、コンラートはユーリに痣をつけた原因の可能性大の人物、フォンビーレフェルト卿・ヴォルフラムを見た。
「…ヴォルフラム。お前か?」
ユーリが少し待ち合わせに遅れてきたことと、一緒にヴォルフラムが来たことを考えると、答えは導き出された。
仮にヴォルフラムがユーリを傷つけていないにしろ、ヴォルフラムが関わっている事には間違いはないのだ。多分。
「だったらなんだ?別にしようと思ってやったわけじゃない」
批判的な目で見つめられてヴォルフラムは更にムッ、とする。
「…………」
折角飴を与えてやろうと思ったのにその態度か。
コンラートは真顔になると、目を細めた。只ならぬオーラがコンラートから出ている気がする。
思わずユーリとヴォルフラムは息を飲んだ。
「フォンビーレフェルト卿。いくら貴方が陛下の婚約者であろうとも、陛下に傷を負わすことは許されません。陛下はこうも寛大なお方だから許されたものの、歴代魔王様であられれば、貴方には罰が下ることでしょう。陛下に感謝しなさい」
見下すような言い方にヴォルフラムは怒りを覚えた。
「貴様に言われる筋合いはない」
「筋合い?筋合いがないのは貴方ではないのですか?私は陛下の臣下で、貴方にご忠告をしているだけです」
「僕に筋合いがないだと?僕はユーリの婚約者だぞ?」
「婚約者だから何をしてもいいと言うのですか?」
剣呑な雰囲気にユーリはおろおろする。
「ちょ、ちょっとコンラッド!何言ってんだよ。俺はこれぐらいなんともないから。それにそんな他人行儀名言葉は止めろ!後、俺を陛下と呼ぶな!ユーリと呼べ、コンラッド!」
ユーリは慌てて二人の仲に入り、喧騒を止めようとした。
「しかり陛下!これは」
「ユーリだ、コンラッド」
軽くコンラートを諌める。
「…しかりユーリ。貴方は眞魔国の魔王なのですよ?このフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは貴方の臣下だ。いくら婚約者と言えども貴方に傷を負わせることは許せません。少しは大人になりなさい」
ヴォルフラムは見かけはまだ10代に見えるが地球では80代のおじいちゃんなのだ。そのヴォルフラムに大人になれというコンラート。中々言えるものではない。流石次男である。
そう言えるコンラートは実際年齢は幾つなんだろうと、ユーリは心の隅の方でそう思った。
「コンラッド…」
きっぱりと言い捨てたコンラートにユーリは途方に暮れる。
こういうとき、どうすればいいのか。きっとツェリ様なら簡単に納めることが出来るんだろうな。俺って駄目な奴…。
などと軽い自己嫌悪に陥っていた。
「私も陛下の、ユーリの一臣下としては黙っているわけにはいきません」
コンラートはユーリの手首を掴み、軽く擦った。
「もう、痛みはないのですか?」
「あ、ああ…。もう大丈夫だ」
「よかった」
コンラートはそう言うとユーリの手首を口元に運び、痣にキスをした。
「「!!」」
ユーリとヴォルフラムはコンラートのやったことに絶句する。
「早くこの痣が治ることの呪いです」
軽く流し目で見られてユーリの頬が赤くなった。
「あ、いや、その!」
ユーリは恥ずかしいのかコンラートに掴まれている腕を外した。
「何か?」
コンラートは呆然と自分を見ているユーリに笑みを浮かべる。
気障だ…。
ユーリとヴォルフラムは同じ事を思った。
しかし、こういう気障なことをしても全く嫌にならない。逆にカッコ良いとまで思ってしまう。同じ男としてはむかつくが、何故だかユーリはそうさせているのが自分だと思うと、嬉しく思う。
だが、ここによく思っていないのが一名。
今日はヴォルフラムの厄日かはたまた仏滅か。魔国だから仏滅だなんて仏などは関係ないとは思うが。
ストレス数値が測れる機械があれば、すぐさまMAXまで数値が及ぶであろう。いや、それを通り越して計った瞬間に機械が測定不能で煙を上げかねない。それほとヴォルフラムのストレスは溜まっており、とてつもなく不機嫌なのである。
「……降参です」
ユーリは思わずコンラートの格好良さに白旗を上げる。
男前で優しく、しかも腕っ節が強い。これ以上何を求めようというのだ。
「?…何かです?」
そんなユーリの気持ちに気がつくはずもなく、コンラートは笑顔で尋ねる。
「な、何がですじゃない!貴様、婚約者の僕の目の前でよくもユーリに口付けたな!勝負だ!ウェラー卿コンラート!」
物凄い形相でコンラートを睨みつけ、剣を抜こうと腰に手を当てるが、ジョギングに邪魔だからと置いてきたことを思いだし、代わりに握りこぶしを作った。
冷静な目で見ていたコンラートはふむ、と頷くとゆっくりと笑った。
「…本気で私に勝てると思っているのか?」
腕組みをしながら自分よりも身長が低いヴォルフラムを見下す。
「やってみなければわからんだろうが!」
ヴォルフラムだって、本気でやればコンラートに敵うはずがないとわかっている。だが、愛しい、自分の婚約者を他の男に口付けられては一発でもいいから殴ってやらないと気がすまない。
「おい、止めろよ!止めろって!」
徐々に険悪になっていく二人の間に、穏やかな空気を流そうとする。
「ほら、折角ジョギングしにきたんだからさ、もっと楽しくやろうぜ。こんな良い天気で風が気持ちいいのに。」
ほら、とユーリは大きく両手を広げて新鮮な空気を肺に取り組もうとした。すると、急に息を吸ったのがいけなかったのか、ユーリはごほごほ、とむせた。
「ユーリ、大丈夫ですか?!」
「へなちょこ、大丈夫か?!」
コンラートとヴォルフラムがユーリの背中を擦った。
「だ、大…丈……夫……。多分…」
涙目になりながらも、ユーリは平気だと言い張った。
「全く、本当にへなちょこだな。お前は!」
「ヴォルフラム、言い方に気をつけなさい」
今まで注意してこなかったヴォルフラムの言葉使いにコンラートが口を挟む。
二人は視線を合わせると、その中間地点で火花が散った。(ようにユーリには見えた。)
「だから止めろって!止めないと二人とも嫌いになるぞ!」
このままじゃ埒があかない、とユーリはヤケクソまがいに言った。魔王なのだから二人に命令といった形で止めされれば容易い事だが、そんな命令をするなんていう考えはユーリの頭の中にはなかった。
しかし、命令せずとも今のユーリの言葉には効力があったらしい。ぴたりと、二人の動きが止まった。
ゆっくりとユーリの方を見る。
「嫌われるのはとても辛いですね」
「へなちょこ…」
「な、何だよ…」
じーっと二人に観られてユーリは一歩退いた。
「わかりました。ヴォルフラム、このことは無かったことにしましょう。これ以上喧嘩してユーリに嫌われたくはないですし」
「…わかった」
コンラートにそう言われてヴォルフラムは拳を素直に下ろした。
それを見てユーリはほっ、と胸を撫で下ろした。
「良かった、良かった。やっぱり兄弟は仲良くなくっちゃ!」
ばんばんっ、と二人の肩を叩く。一つ二つぐらいの文句はあったが、ユーリににっこりと笑われて、文句を言える二人ではない。これぞ惚れた弱みというやつか。
コンラートは可愛いユーリの笑顔を見れただけで、今までの鬱憤は晴れ気がした。
やはり、この方には敵わない…。
「よし、上手く纏まったところで血盟城まで誰が一番早く戻るか競争だ!」
ぎゅっ、と握りこぶしを作ってよーい、ドン!のポーズを作る。
「えっ。競争ですか…?」
「勝負するってことか?」
「勝負は勝負でもちゃんとしたスポーツとしての勝負だ!これで汗をいっぱいかいて今までのことは水に流そうぜ!」
なっ!、と満面の笑みで迫られて二人は頷くしかなかった。
この考えは流石、ユーリというかスポーツ馬鹿というか。
いつものヴォルフラムはここでいくつか文句を言うところだが、ユーリが先ほど言った言葉、「嫌いになるぞ!」が効いているのか唇を一文字に結んだままだった。
そんな可愛らしい態度を取るヴォルフラムにコンラートは苦笑する。なんだかんだ言ってもヴォルフラムはコンラートの可愛い弟なのだ。
ちょっと先ほどは虐めてしまったが、弟を可愛がるという気持ちに嘘偽りはない。
ただ、ユーリをモノにするかしないかは別として。
如何せん、この眞魔国もまだまだ安定しない国だ。それまでに幾度となくユーリと離れて戦に出かけることもあるだろう。
そうなったら、ユーリを一人にしておくことは出来ない。それならば、ユーリに一目惚れをしたヴォルフラムにユーリの身を預けるしかないのだ。ヴォルフラムは絶対にユーリを裏切らない。口ではへなちょこだのなんだの言っているが、内心はユーリに心酔しているのだ。それは端から見ていればわかること。
それまでは婚約者であるヴォルフラムに体の良い虫除け(男女共)になってもらわないと困るのだ。
「よし!二人とも用意はいいか!――じゃあ、行くぞ!」
二人はユーリが木の棒で引いた線の手前に立ち、走る準備をする。
「よーい、ドンっ!!」
元気なユーリの掛け声とともに三人は血盟城に向けて足を走らせた。
それは将来いずれ起こるであろう、ユーリの争奪戦のようにコンラートは思えた。
…負けられない。
そう思うとコンラートは全力で走った。お陰でトップに立ち、余裕で見事優勝を果たした。
今後の勝負の結末を表すかのように。
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