槇村 香はいつものごとく伝言版を見に行っていた。
「はぁ〜、今日も依頼なし、か・・・」
 がっくりと項垂れて、深いため息をつく。
 暗い表情のまま、その場から離れようとすると後ろから声を掛けられた。
「すみません。もしかして、槇村香さんではないですか・・・?」
 綺麗な女の人が香に声を掛ける。
 緊張しているのか瞬きが多い。
「えっ、そうですけど・・・」
 香は急に声を掛けられたので驚いたが、もっと驚いたのが、自分の名前を知っていることに驚いた。
「あの・・・、どちら様で?」
 見覚えのない顔に香は戸惑う。
「やっぱり、香だ!」
 その女の人は笑顔になり、香に抱きついてきた。
「香、会いたかった!」
 周りの人がびっくりするような大声で、その女の人は言った。
「あ、あの!」
 香はどうしようかと対処に困る。
 女の人なので、突き飛ばすわけにはいかないし、ましてやハンマーなんてもっての他だ。
 とりあえず、体から引き離し相手が誰であるかを確認する。
 自分の名前を言って抱きついてきた。
 ならばきっと自分が知っているはずの人物だ。
 そう思うと香は相手の顔をじーっと見た。
「香、まだ私の事思い出さないの?」
 その人は少し悲しそうな顔をした。

 あれ・・・?この表情どこかで・・・。

 香は記憶の断片を整理する。

 確か、この表情は高校の時に・・・。

 う〜んと悩む。
「綾よ、綾。竹田綾」
 綾はにっこりと微笑んだ。
「ああー!あの泣き虫だった竹田綾?!」
 香は名前を聞いておぼろげな記憶が鮮明に浮かんできた。
「そっ。当たりvv」
 ぱちん、とウインクをした。
 竹田綾は高校時代に香と一時期だけ一緒にいた仲であった。
 高校2年生春に転校してきて、3年生の夏に転校していったのだ。
 この少しの間に、綾は(その時は)男っぽい香にとても懐いた。
 転校したばっかりで、誰も友達がいなかった綾に香はすぐに声を掛けて、友達になろうと言ったのだ。
 純真無垢な、可愛らしい笑顔で。
 綾は一瞬で香を好きになった。
 何もかも包み込んでくれそうな暖かい雰囲気に綾は包まれたくなった。
 だから転校するまではずっと香と一緒に行動していたのだ。
 しかし綾は気が弱く、いつも男子に苛められていた。
 そのパターンは2つあった。
 それは綾が可愛くて苛めていたのと、苛めるとすぐに泣く綾が面白くて苛めるというパターンだ。
 それを見て香はいつも綾を庇っていた。
 それは綾が転校するまで続いた。
 転校する時は泣きながら皆と、香と別れた。
 香に取って綾はいつも泣いているという印象しかなかったのだ。
 だから今目の前にいる綾とは全然の別人に見えた。
 今の綾は昔の泣き虫の面影はなく、とても綺麗で笑顔が似合う女性に変わっていた。
「ご、ごめん。まさかこんなに綺麗になっているなんて思わなくて・・・」
「綺麗?そう本当に思ってくれるの?」
 意外そうに綾は言った。
「当たり前じゃない。すっごい綺麗になったわよ」
 その言葉を聞くと、綾は悲しそうに微笑んだ。

 えっ・・・。

 香は一瞬、その笑顔が泣き虫の綾と重なる。
「綾・・・?」
「何?」
 名前を呼ばれて香を見た笑顔は元に戻っていた。
「あっ、うんん。なんでもないの」
 首を左右に振り、否定する。
「ねえ、香。これからお茶しない?ゆっくりと話しましょうよ。それとも今日、これから何か予定でもある?」
「ぜ〜んぜん、ないわよ。予定なんて。久しぶりに話しましょう」
 香は「予定」に力を込めて言った。

 ホント、予定なんかないわよ。あ〜あ、いつになったら依頼来てくれるのかしら・・・。

 ふぅ、と肩の力を抜く。
「じゃあ、どこかお店に入りましょうよ」
 どこがいいかしらね、と綾は当たりを見回した。
「あっ、それなら行きつけの店があるから、そこにしない?」
 香はCat’s Eyeを思い出す。
「いいわね。そこにしましょう」
 綾はにこっと微笑むと香の後を着いて行った。



 二人はCat’s Eyeにつくと、一番端の窓側に座った。
「香さん、何にする?」
 店の女マスター、美樹がオーダーを聞いてきた。
「私はホットコーヒーでお願いするわ。綾は?」
「私もコーヒーでいいわ」
「じゃあ、コーヒー二つでお願い。美樹さん」
「わかったわ」
 そう言うと美樹はカウンターの中に入っていった。
「ここ良い店ね。なんだか落ち着くわ」
 綾がぽつりと言う。
「そうでしょ?それにここの主人も美人さんだし」
「香さん、おだてても何もでないわよ」
 そう言うと、カウンターの中から美樹の声がした。
「そんなつもりで言ったんじゃないわよ」
 香が慌てて弁解する。
「でも本当に彼女美人ね。羨ましいわ」
 綾が美樹を見て言う。
 その言い方に美樹は少し違和感を覚えた。
「・・・ありがとう。貴方もとても綺麗よ」
「・・・・・・・・・・」
 しかし綾は哀しく微笑むだけだった。
 コーヒーを容れ終わり、美樹は二人の前に差し出した。
「どうぞ。お待たせしました」
「ありがとう、美樹さん」
「いいえ、ごゆっくりしていってね」
 そうと言うと美樹は又カウンターの中に戻っていった。
 綾はそれを尻目に見ると、
「ねえ、香。・・・今幸せ?」
 ぼそっ、と言った。
「えっ?な、何よ。突然に・・・・」
 香は眼をぱちくりとさせる。
「なんとなく・・・」
「なんとなくってね〜」
 微かに鬱な表情が綾に宿る。
「まあ、強いていうなら幸せかしら?」
 香はコーヒーに口をつける。
「強いてか・・・。でも、幸せなのね。嬉しいわ。香が幸せで」
「・・・何かあったの?綾。久しぶりに会って言うのもなんだけど、何か変よ」
 いくら数年会っていなくても、そんなに人はすぐに変わるものではない。
 香は高校の時の綾と比べて、おかしいのに気づいた。
「うん、ちょっとね・・・」
 眼を伏せ、視線を注がれているコーヒーに向けた。
「綾?・・・」
「・・・私ね、近いうちに結婚するの」
「あら、よかったじゃない。おめでとう!!」
 香は一瞬喜んだ顔をしたが、直ぐに眉間に皺を寄せた。
「って、そんなおめでたい話なのになんで憂鬱な顔をしてるの?もしかして結婚したくないの?」
「そう言うわけじゃないんだけど」
 綾は言葉を少し詰まらせて、
「ただ、本当にこのまま結婚してもいいのかなって最近思うようになって・・・」
 コーヒーカップを両手でつかむ。
「あんまり仲良くないの?」
「うんん。そんな事はないわ。仲良くやってるつもりよ。でも、なぜか結婚することが怖くなってきちゃって・・・」
「マリッジブルーってやつ?もしかして」
「・・・・かな?」
 綾は首を傾げた。
「旦那さんになる人はいい人なんでしょ?」
「ええ、とっても。・・・私にはもったいないくらい」
「じゃあなんで・・・」
「さあ?それがわからないのよ。だから気分転換に街をぶらついていたのよ。そうしたら香に会って今この状態」
 綾は軽くため息をつくと、少しぬるくなったコーヒーに口をつけた。
「ごめんなさいね、久しぶりに会ったのに暗くしちゃって」
 カップを受け皿の上において、テーブルの上に両肘をついて手を組む。
 香は慌てて、
「いいのよ。だって私たち友達じゃない。気にすることないわ」
「そう言ってもらえると助かるわ」
 にこっ、と綾は微笑んだ。
「香はどうなの?」
「へっ?何が?」
「彼氏よ。誰かいるんでしょ?」
 唇の端を軽く上げる。
「な、なんのことかしら?」
 香は少し真っ赤になりながらそっぽを向いた。
「隠さなくてもいいじゃない。だって香、すっごく綺麗になったもん。そんなに香を綺麗に変えたのは男の存在でしょ?誰なのよ?紹介してよ」
 先ほどとは打って変わっての綾の変わりように、香は少し驚いた。
「私に恋人なんていないわよ。仕事上のパートナーならいるけど・・・」
 香は撩の事を思い浮かべる。

 確かに私たちは体の関係を持っちゃったけど、別に恋人同士って訳じゃないのよね。

 恋人というよりもパートナーという言葉の方がしっくりくる。
 パートナーの方がもっと深く繋がっている様に思えた。
「えっ?香、今仕事何しているの?」
 パートナーという言い方に綾が『ん?』といった顔になる。
 普通仕事相手にパートナーという言葉は使わない。
 香は誤魔化すように、
「まあ、ちょっと探偵ってぽい仕事かな?・・・わかりやすく言うと」
 ははっ、と笑う。

 まさかスイーパーをやっているなんてとてもじゃないけど言えない・・・。

「探偵?!すごいじゃない!」
 珍しい職業に綾は眼をキラキラと輝かせる。
「ねえねえ、今度そのパートナーって人に会わせてよ。一度探偵さんって言う人に会ってみたかったのよね」
 その言葉を聞くと、
「駄目よ!!!会ったらアイツに何されるかわかったもんじゃないわ!!」
 バンッ!と机を叩き立ち上がった。
「な、なに・・・。どうしたの?」
 いきなり立ち上がったので綾は驚いた。
「あんなもっこりスケベ会わない方が身のためだわ」
 綾みたいな綺麗な人に会わせたらアイツ、絶対に口説くに決まってるわ!
 にやけた顔の撩を思い出すと、キッ!と睨み付ける。
「そ、そう・・・」
 綾はものすごい香の剣幕に押され、それ以上は何も言えなかった。
 するとカランコロン、と店のドアが開いた音がした。
 ふと見ると、そこには今話していた元凶が存在した。
「ういーっす。今日も相変わらず美人だね、美樹ちゃん」
 にやけ顔のまま撩は中に入ってきた。
「ありがとう、冴羽さん。何か飲む?」
 会うたびに言われている言葉を聞き流す。
「じゃあ、コーヒーを、・・・って香じゃないか。そこで何してるんだ?」
 ふと、撩が端にいる香に気がついた。
「りょ。撩・・・」
 香はひきつった顔をする。
 その顔に撩はピン、とくるとすぐ後ろにいる綾に視線がいった。
「わぁお〜!!!僕好みのもっこりちゃんvv」
 だらしがない顔をして、一瞬の間に綾の目の前に来た。
 すると手を取り、真剣な顔をする。
「どうです、お嬢さん。私といっしょにもっこりしませんか?」
「も、もっこり・・・?」
 綾は唖然とした表情で撩を見た。
「りょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 香の声がしたと思ったら、
 バコーン!!!
「げふっ!」
 撩の顔面に香特製ハンマーが炸裂する。
「アンタね、人の友達に手を出すんじゃないの!!」
 ぷんすか、と頬を膨らませて香は怒る。
 撩は床に埋まりながらも、
「ごびんなざい・・・」
 と返事をした。
「か、香・・・?もしかしてこの人・・・・」
 ハンマーの下敷きになっている撩を指さした。
「・・・そ、さっき言っていた私のパートナーよ」
 ふぅ、と香はため息をついた。
「えぇーーー!この人が?」
 と、綾が驚くと、
「お前何の話してたんだ?」
 ハンマーから脱出し、香の隣りに立つ。
 回復力の早い奴・・・。
「そんな大した話じゃないのよ」
「ふ〜ん・・・」
 そう言うと撩はカウンターに座り、煙草をふかした。
「香!なんであんな人と仕事しているのよ」
 びしっ!と撩に指を指す。
「なんでってね〜・・・」
 なんと説明したら言いかわからずに香は戸惑った。
「まあ、あんな奴だけど根はいい奴だから」
 香はにこっ、と微笑んだ。
 その笑顔はとても柔らかな笑顔だった。
「・・・香、まさかあなた・・・」
 綾は信じられないといった表情で香を見る。
「何?」
「い、いいえ。なんでもないわ」
 綾はちらっ、と撩を見ると美樹をナンパしている最中だった。

 なんであんな男と一緒に仕事してるのかしら。香が不憫だわ・・・。

 そのとき美樹が香に話し掛けてきた。
「ねえ、香さん。常連のお客さんからりんご頂いたんだけど持って行かない?」
 手を握ってこようとする撩の手を払いのけながら言う。
「あっ、嬉しい。喜んで頂くわ。撩、持って帰ってきてよね」
「えぇ〜、なんで俺が〜」
 不満の声を上げる。
「つべこべ言わずに持ってくる事!!いいわね・・・?」
 不気味なオーラを香は発した。
「・・・はい」
 撩はその香のオーラに呑まれて、ごくっ、と唾を飲み込む。
「ただでさえ、アンタが飲み歩いているせいで家計が圧迫しているんだから、こんな時ぐらい役に立ちなさいよ」
 腕を組んで仁王立ちする。
「わぁ〜ってるよ。わかりました。持って帰ればいいんだろう?」
 ぶーすかと撩はふてくされる。
 その会話を聞いていて綾は不思議な表情をした。
「・・・香、一つ聞いていいかしら?」
「何?」
「・・・もしかして一緒に住んでるの?」
「えっ・・・。まあね。仕事上、一緒の方が楽なのよ」
 それが何か?と首を傾げる。

 なんてことなの?!こんな人と一緒に仕事している上に同じ屋根の下に住んでいるですって!

 キッ!と撩を睨んだ。
 そのきつい視線に撩はびくっ!とする。
「な、何?あの子・・・」
「さあ?」
 撩は顔を引きつりながら、美樹に聞いた。
 美樹は事の成り行きを面白そうに、見つめている。

 あんなに優しかった香。きっと、この男に騙されているんだわ。
 そう綾は思うと、
「香、お願いがあるの」
 深刻そうな顔をして綾は言った。
「何?私が出来る事なら何でも言って」
 姉御肌の香はそんな顔をして言って来る綾に、真剣に耳を傾けた。
 綾はその言葉を聞くと、
「じゃあ、私を今日香の家に泊めて頂戴」
 そう言った。



 綾を家に呼んで、もう既に4時間が経とうとしていた。
 今目の前で、二人が笑いながら食事をしている。
 俺は俺で除け者にされたみたく、無言で食べている。

 ・・・なんかおいしくね〜。
 モグモグと口の中で食べ物を噛む。
 体調が悪いときでも、こんなに食べ物がおいしくないと思ったことはない。
 その元凶である来客をじ〜っと撩は見る。

 何でこの子はこんなに俺のことを敵視するんだ?

 う〜んと撩はうなる。
 あの後綾がどうしても泊まると聞かなかったので、香はマンションに連れてきた。
 いつもなら女性を泊めると喜ぶ撩が今回は渋い顔をした。
 撩にしてみれば美女を両手に嬉しいことなのだが、今回は違った。
 よくわからんが、なぜか撩は綾に睨まれているのだ。
 視線が合うたびに、キッ!と睨まれる。
 いや、視線が合わなくても背中に鋭い視線を感じるのだ。
 これが好意的な視線だったら撩は大歓迎するのだが、如何せんその視線が攻撃的な視線なので困ってしまう。

 俺、何かやったかな?

 撩はまったく思いつかず、はぁ、とため息をつく。
 そんな撩の変化に気づいた香は、
「どうしたの撩?あまり食が進まないみたいだけど」
 心配そうに尋ねてくる。
 その心配が今はとても嬉しい。
 しかしそんな嬉しい気持ちを素直に表すことのできない撩は、
「別に・・・」
 無表情で応えてしまう。

 ・・・これで綾ちゃんがいなきゃな、香にキスしてたのに・・・。

 自分と一線を越えてからどんどん綺麗になっていく香。
 視線が合うたびに、触れたい、抱きしめたい、キスをしたいという衝動に刈られる。
 しかし、そんな事ができるはずもなく、撩は毎日我慢している。
 今更ラブラブなんかできるかよ。
 恥ずかしい気持ちが優先して、香に自分の気持ちを上手く伝える事ができない。

 なんでこんなに捻くれ者なんだろうか?

 いつもよりも今日は悩んでしまう。

 それもこの場に綾がいるからだろうか?

 撩は二人を見比べるとふぅ、と息を吐くと席を立った。
「撩、どうしたの?」
 いきなり席を立った撩に香が話し掛ける。
「ちょっと外にでてくる」

 これ以上ここにいられるかよ。

 いつものパターンなら綾にちょっかいをかけているはずなのに、今回はそんな気になれない。
 それに香に触れようとすると、綾が睨んでくるので触れたくても触れられない。
 こんなの蛇の生殺しだ。
 む〜、と撩は唸る。
 綾ちゃんにモーションはかけられないわ、香には触れる事ができないわ今日は散々だ。
 自分のパターンに持っていけないので、撩は深く落ち込む。
「ちょっと用事を思い出した。帰り遅くなるから、先に寝てろよ」
「どうせ、そんな事言ったって飲みに行くだけでしょ?ったく、あきないんだから」
 香は様子がおかしい撩に深くはつっこまなかった。
 撩もその事がわかったのか、一瞬香とアイコンタクトをとると、軽くふっ、と笑った。
「行って来る」
「行ってらっしゃい」
 その言葉を聞くと、撩は部屋から出て行った。
「・・・いいの?」
 綾が心配そうに聞く。
「いいのよ。それに綾と話したいし」
「そう。じゃあ、今日は一晩中話しましょう!」
「いいわね。その話のったわ」
 そう言うとは香はにこっ、と笑った。
 食事が終わり、香は綾にお風呂を勧めた。
 撩がいないので、香はゆっくりと食後の時間を過ごす事が出来る。
 これで撩がいたら綾の入浴を覗こうとしただろう。
 それを塞き止めるのに香は奮闘しなければならなかった。
 しかし今日は撩はいない。
 香はティーブレイクを楽しんだ。

 それにしても撩の態度おかしかったな・・・。

 いつもなら綾にちょっかいをかけるのに、今回は全くそれをしない。
 それどころか綾を避けている気がする。

 ・・・気のせいかしら?

 そう考えていると綾がお風呂から出てきた。
「いいお湯だったわ。ありがとう」
「じゃあ、私も入ってこようかな」
 香は立ち上がると、
「あっ、そうだ。冷蔵庫の中に冷たい飲み物入っているから好きなの飲んでね」
「ありがとう。頂くわ」
 綾は香がリビングから出て行くと、お言葉に甘えて冷蔵庫の扉を開けた。
 中を見てみると、冷蔵庫の中はビールでいっぱいだった。
「なにこれ・・・。ビールばっかりじゃない」
 缶ビールに瓶ビール。
 飲み物といったらビールと牛乳しかなかった。
「・・・これはあの男が飲んでいるのね。なんでこんなにあの男との生活が定着しているのよ」
 よく周りを見てみると、二人の物がいっぱい置いてあった。
「これじゃあ、まるで恋人同士じゃない。同居じゃなくて同棲だわ」
 綾はむかっ、とすると缶ビールを手に持って、一気飲みをした。



 数十分後。

「ふぅ、いい湯だったわ」
 髪をごしごしとバスタオルで拭きながら、香は戻ってきた。
「あっ、おかえりなさい。お言葉に甘えて頂いちゃってるわ」
 缶ビールを片手に綾はフラフラと揺らした。
 もう出来上がっているのか、綾は顔を赤く染めている。
「いいわよ。たまには私も頂こうかしら」
 そう言うと香は冷蔵庫から1本缶ビールを取り出した。
 カチン!
 心地よい音をたてて蓋が開く。
 ぷしゅー!と音が鳴る。
 香は缶に口をつけて、ごくごく、と飲んだ。
「ぷはぁ〜、美味しい。お風呂上りのビールはやっぱりいいわ」
 お風呂上りのうでに、お酒で香の顔は赤くなっていた。
「ねえ、香。ちょっと聞いてもいいかな?」
「何?」
 香は綾の真正面に座る。
「香、冴羽さんのこと好きなの?」
 ぶーっ!
 飲もうとしたビールを噴出す。
「ちょ、ちょっと香!そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「ご、ごめんなさい。で、でも綾が悪いのよ?いきなり変な事言うから」
 ふきふきと手の甲で唇を拭く。
「そんなに変なことかしら?だって一緒に住んでいるんですもの。相手を好きじゃないとできないことだわ」
「す、好きって・・・」
 ぽっ、と耳まで赤くなる。
「そっか。やっぱり冴羽さんのこと好きなのね」
 香の反応を見て、綾はそう思った。
「べ、別に撩のことなんか好きなんかじゃないわよ」
 恥ずかしさのあまり、香は嘘をつく。
「嘘おっしゃい。香は嘘がつけないタイプなんだから、嘘はつかないほうが身のためよ」
「ぐっ・・・」
 本当の事を言われて、香は黙った。
「私がいうのもなんだけど、あの人はやめなさいよ。女にだらしがないタイプじゃない。それに一緒に住んでいて恋人じゃないですって?家事を全部やらせておいて、一体何様のつもりよ!香は騙されているんだわ!」
 握りこぶしを作って力説する。
「どうしたのよ、綾」
 いきなり怒り出した綾に香は首を傾げる。
「だってそうじゃない!これじゃあ香がかわいそうだわ。香の目の前で他の人をナンパする男なのよ?!愛想を尽かさないのが不思議なぐらいだわ」

 確かに・・・。

 香は綾の言葉に納得した。
 綾の正論に香は笑うしかなかった。
「男なんて嫌いよ!」
 お酒が入っているせいで、綾の感情が昂ぶっている。
「・・・綾」
 香はどうしたらよいかわからなくて、困惑するだけだった。
 綾はふと、香を見る。
 その目には涙が溢れようとしていた。
「・・・どうして一緒にいられるの?」
「えっ?」
「どうして冴羽さんが他の人にモーションかけているのに、香は冴羽さんの事を好きでいられるの?私にはできないわ」
「・・・綾?落ち着いて話してみてよ」
 香はなんとかなだめようとする。
「あなた、彼氏と仲良くいっているんじゃないの?」
 フルフル。
 その言葉に綾は首を横に振った。
「うまくいってないの」
「どうして?」
「なんか心配になっちゃって。これから先、この人と結婚してやっていけるのかどうか。彼、冴羽さんと一緒で美人な人には目がないのよ。いつもデートしていても、美人が隣を通ると視線は私じゃなくその人を見るわ。でもちゃんと最後には私の方を見てくれるんだけど・・・」
 ぎゅ、と唇を噛む。
「彼、浮気でもしたの?」
「うんん。浮気はした事ないわ」
「じゃあ、信じなきゃ!信じないと何も始まらないわよ。それとも綾、彼の事嫌いなの?」
「嫌いなわけないじゃない。だったらプロポーズなんて受けないわよ」
「じゃあ、信じるしかないわね」
「信じるしかない・・・」
 綾は香の言葉を復唱する。
「ええ。だって彼まだ浮気してないんでしょ?結婚する前から彼の事信じられないとやっていけないわよ。それに、いくら美人さんに目がいったとしても最後には綾を見てくれるんでしょ?だったらそれでいいじゃない。どんなことがあっても最後には自分の元に戻ってきてくれれば・・・」
 香は少し寂しそうな顔をした。
 どんなことがあっても、自分の所に戻ってきてくれれば何も言う事はない。

 生きて帰ってきてくれれば・・・。

 ぎゅ、っと香は手を握った。
「香・・・。香は信じてるの?冴羽さんのこと」
「・・・ええ。信じてるわ」
 自信に満ち溢れた笑顔を見せた。
 とても強く、慈愛に満ちた笑顔だった。
「香・・・」
 その笑顔を見ると、綾は目から涙を溢れさせた。
「・・・ごめんなさい、私ちょっとおかしいわね。お酒のせいかな・・・?」
 涙を拭うと、
「私もう寝るわ。話を聞いてくれてありがとう。・・・私、信じてみるわ。彼の事」
「ええ。頑張ってね」
「うん。・・・ねえ、香。冴羽さんと一緒にいて幸せ?」
 真剣な瞳が香を見る。
 香はその瞳に答えるために、真っ直ぐその瞳を見て、
「幸せよ。今までにないくらいに。・・・私をいつも見ていてくれるから」
 自信を持って、香は言った。
「そう・・・。ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 そう言うと綾はリビングから出て行った。



 数分後、撩が「ただいま〜」と元気がなさそうな声で帰ってきた。
「おかえりなさい、撩。早かったわね」
 にこっ、と香は微笑んだ。
「まあな。なんか飲む気になれなくてよ。・・・ってお前ら、こんなにビール飲んだのか?」
 撩は目を見開いて驚いた。
 テーブルの上には空の缶ビールが5,6本転がっていた。
「まあ、たまにはね」

 ほとんど綾が飲んだんだけど・・・。

 ははっ、と苦笑いした。
「綾さんは?」
 攻撃的な視線を投げかける相手を撩は探した。
「もう寝たわ。あっ、駄目よ撩。綾に夜這いかけちゃ」
 香は前もって牽制をしかけた。
「・・・しねーよ。俺にはお前がいるのに何でいちいち他の女に夜這いをかけなきゃならんのさ。かけるならお前にかけるね」
 そう言うと撩は香を抱き寄せて、額にちゅ、とキスをした。
「このスケベ・・・」
 少し顔を赤くする。
「どうせ男はスケベだよ。男がスケベじゃないと世界は終わりなんだぞ」
「・・・なんでよ」
「スケベじゃなくちゃ子供が生まれん!」
 ・・・こいつはたまに正論っぽいのをついてくるのよね。
 否定できない言葉に香はくすっと笑った。
「ねえ、撩。私のこと信じてる?」
「何だよ、いきなり・・・」
「いいから答えてよ。信じてる?それとも信じてない?」
 香はまっすぐに撩の顔を見た。
 すると困った顔をして、撩は答えに詰まった。
 真剣に聞いているので、真剣に返さないといけないだろう。
 撩は恥ずかしい気持ちを抑えて、
「・・・信じてるよ。当たり前だろう?信じてなければパートナーなんてやらせてないさ。俺のパートナーはお前だけだ」
 真顔で撩は言った。
「本当?その言葉信じていいのね?」
「疑い深い奴だな。そんなお前こそどうなんだよ?俺のこと信じてるのか?」
「私?私はね・・・」
 そう言うと香は背伸びをして撩の唇に自分の唇を重ねた。
「勿論信じてるわよ。撩が私を信じてくれるからこそ、私も撩を信じていられるの」
「香・・・」
 撩はふっ、と笑うと香を抱え上げた。
「きゃ!何するのよ」
 香はバタバタと暴れる。
「いいだろう?今気持ちを確かめあったんだから、今度は体を確かめ合おうぜ」
「いやよ、綾がいるのよ!」
「大丈夫だよ。香ちゃんが声を抑えればわからないって」
「こ、声って・・・」
 ルンルンな気分で撩は香を自分の部屋まで運ぶ。
 香をゆっくりとベットの上に降ろすと、
「もう観念しな。香ちゃん」
 にやっ、と笑った。

 ここまできたら逃げられないわね・・・。しょうがない・・・。それに撩の気持ちも久しぶりに聞けたし・・・。

「ったく、いつもこんなに気持ちを表してくれるといいのに・・・」
「あれ?じゃあ俺がムラムラきたら香ちゃんを襲ってもいいの?」
「・・・バカ」
 香は頬を赤らめる。
「・・・でも、今日は撩の気持ちを体で感じさせてね・・・」
 ぼそっ、と耳元で囁いた。
 撩は一瞬、呆然としたが、
「勿論。めいいっぱい俺の気持ちを一晩中かけてわからせてやるよ」
 そう言うと撩は香を押し倒した。



 次の日、香が起きるとそこにはもう綾の姿はなかった。
 時計を見るとすでにお昼の12時を指していた。
「ありゃ?寝過ごしちゃった」
 寝不足でだるい体をなんとか動かして、香はリビングまでくる。
 すると、テーブルの上に置手紙があった。


『香へ。
 昨日は相談にのってくれてどうもありがとう。
 結婚式には来てね。
 冴羽さんとお幸せに・・・。 

綾』


 短い文章だが、香には綾の気持ちが理解できた。
 彼を信じる事が出来たのかな?
 香はメモをぴん、と軽く指ではじくと、
「お幸せにね、綾」
 そう言った。
「さっ、今日は寝過ごしちゃったから急いで掃除と洗濯しないとね」
 軽く腕を伸ばすと、香は家事に精を出した。



end






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